日本でも、若い人間の中にでも、今も強く、社会に貢献したいという強い動機付けがある人が少なからずいます。東京大学の学生が就職先を決めるときに、公の社会への貢献を考慮する割合が高いという統計調査もあると聞きました。
でもどうやってその志を実現するかについて、簡単な答えはないということが、10年来問題になっています。90年代後半になって、官僚組織の能力とキャリアパスが崩壊、公務員になっても役所の縄張り争いに巻き込まれて公のことはできないことは明らかになったからです。そのための、ひとつのありうる答えを、以下の人物像を示すことで、提示したいと思います。
アイラ・マガジナー(Ira Magaziner)氏の記事
ブラウン大学在学中に、学生の自由な意思による選択カリキュラムの確立を大学当局と交渉して実現、そのような学生活動を行いながらも、卒業生総代の成績(主席)で卒業し、アメリカの主要新聞に卒業式の主席卒業者の演説が掲載される。オックスフォード大学にローズ奨学金生として留学。ビル・クリントンやロバート・ライヒ(クリントン政権労働長官)をはじめとする、後に重要な役割を果たす友人に出会う。
帰国後、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)のコンサルタントとなり、後に自らの手となるコンサルティング会社であるテレシスを起業する。その間、コーニング、ボルボ、ワンラボラトリーなどの企業戦略の作成に関わると同時に、スウェーデンやアイルランドの産業政策の立案やロードアイランド州やマサチューセッツ州ブルックトン市の政策にも重要な役割を果たす。
クリントン政権では、ヒラリー・クリントンとともに医療政策の抜本的な改革案を提示することに主導的な役割を果たすが、失敗に終わった。その後は、コーニングなどへのビジネスコンサルティングを続けながら、クリントン基金の役員となり、途上国のエイズプログラムの改革に取り組んでいる。
2009年1月5日月曜日
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