2008年7月29日火曜日

社外取締役が諸悪の根源(2)

ふと当たり前のことを考えていただきたいのですが、形式的に社外取締役を置けばすぐれたガバナンスになるというのは、笑止千万の理屈です。損失隠しを行っていたエンロンでさえ、社外取締役はいましたし、KKRが買収する前に放漫経営であったとされるナビスコでは、CEOが社外役員にベネフィットを与えることで、実質的にコントロールしていたわけです。

社外取締役を過半数にして、委員会設置会社にすれば、ガバナンスが良くなるというのは、まったくの誤解です。株価の推移を見れば、それも明らかなはずなのです。

エンロンにしても、社外取締役は約14億円の賠償金支払いに応じています。「ペンタックスの従業員の過半が合併に賛成」などということを理由にして、株主利益に反する判断に賛成した社外取締役は、本当はすぐに役員会から追放されるべきでしょう。そうならないのが、「取締役会の仲良しクラブ化」の証拠です。本当は、個人株主が怒るべきなのです。 

2008年7月26日土曜日

社外取締役が諸悪の根源(1)

HOYAの取締役会は、すぐれたガバナンスにあらず」 (2008年7月20日)の記事の要約です。

①社外取締役が多数からなるHOYAの取締役会は、株主の代理人としての監督機能をまったく果たしておらず、2年間で株価の55%下落を招いた。問題の本質は、株主利益とは何かということと、事業内容について、まったく理解していない社外役員による役員会の仲良しクラブ化である。

②創業メンバーの日比良一常務らが役員会にいた、70年代80年代こそ、事業開発に真剣に取り組み成果を出した、まともな経営が行われていた時期であり、現在のほとんどすべての主力事業が創出された。

③90年代後半以降のお粗末な経営は、80年代末までに創出された事業があまりにすぐれていたために、既存事業の成長鈍化が明確になったここ2年くらいまでは、外から見えにくかったというのが真相。

④すでに機関投資家は投資家として離れる傾向にあり、本質的な変化がないのであれば、「HOYA株主の失われた8年」は「失われた15年」や「失われた20年」になってしまうだろう。

2008年7月20日日曜日

HOYAの取締役会は、すぐれたガバナンスにあらず

従来HOYAの取締役会は、社外役員制度や委員会設置会社形態をいち早く導入し、先進的な企業統治であるといわれてきました。一方で、まさにそのように言われるようになってきた2000年代(2000年から、この2008年まで)で、なぜまったく株価が上昇していないのか、今年の1月に株価の急落(より広い意味では2年間で55%の株価下落であり、日経平均すら大きく下回っている)を招く結果となったのかということに関して、私の見解を述べておきたいと思います(一部はすでに今まで私が表明してきたことと重複しますが、ご了承いただきたいと思います)。

すでに述べてきたように、HOYAがROAの高い企業になれたのは、いくつかの偶然もあり、70年代初頭に硝子(がらす)研磨の技術を手に入れることができたからです。もしこの技術を手に入れたのが、ほかのガラスの会社(例えば旭硝子、日本板硝子、山村硝子、コーニング、ピルキントン、ショット、ザイス)であり、手に入れた会社がそれに基づいて継続的な技術研究開発、製品開発を行っていたら、HOYAではない別の会社が、半導体の製造工程で使われるマスクブランクスやHDD用ガラス磁気ディスク基盤などの市場における主要プレーヤーになっていたでしょう。もちろん潜在的に優れた技術をせっかく手に入れても、きちんと開発を行わなければ高収益事業には育たないので、70年代、80年代の保谷硝子の会社経営は、相対的には優れていたといえると思います。

この時代に社外取締役などはおらず、経営の意思決定である取締役会は、鈴木哲夫社長(当時、以下同じ)のほか、日比良一常務(私の祖父である山中茂氏とその兄である山中正一氏の甥(兄弟の姉妹の息子)、鈴木哲夫氏の義理の従兄弟)が関与しており、仮に社長の意思決定や日々の事業執行がおかしければ、創業家の株主兼役員が声をあげたであろうと思いますし、彼ら以外にも創業時代から苦労して会社を一緒にやってきた人が多くいましたから、会社のそれぞれの事業の内容や技術などもよく理解していました。そういったチェック・アンド・バランスが、ある程度良く働いていたのです。

すでに述べたように、ガラス磁気ディスク基板、マスクブランクス、フォトマスク、オプティクスなどの現在の高収益事業は、80年代末までに製品開発されて創出されたものであり、90年代半ば以降はなんら実効性のある新事業が創出された実績がありません。

ところが、90年代以降創業時からのメンバーである日比良一氏らは老齢化したこともあり経営の一線からは退き、社外役員制度なるものが導入されていきます。椎名武雄さん、茂木友三郎さん、河野栄子さん、塙義一さんら、別の会社で著名な方々が役員になるという構成になりました。90年代末、2000年代になって、やれ先進的なガバナンスだの宣伝されるようになったまさにこの時期が、私のいう「HOYA株主の失われた8年」という、株主価値がまったく創出されない期間と重なるのです。いったい何が問題だったのでしょう。

①現在の社外役員は、材料科学や眼科の領域のビジネスについては、まったくもって不案内であるし、80年代までの取締役であった日比良一氏らとは対称的に、HOYAの事業内容について、まったく理解していません。

②金融の自由化、国際化とともに、現在の株主利益を最優先とする経営がどういうものであるかについて、現在の取締役諸氏は、きちんと理解しているとはいえないと思います。社外役員最年少の河野氏を除くと、現在の社外役員諸氏は70歳以上であり、彼らの経験則と、現代の株主のほうを向いた経営とは、残念ながら、齟齬が発生してしまっているのではないかと思われるのです。だからこそ、普通に訓練をうけた人ならば、HOYA株主に多大な損害を与えるだろうことが簡単に予期できるにもかかわらず、「ペンタックスの従業員の過半がHOYAとの合併に賛成」などということを根拠に、株主価値を破壊する決定に賛成してしまったのでしょう。

③社外役員の中には、HOYA株をまったく所有していない方もおり、(無能な経営陣を排除して)株価を上げよう(少なくとも下落を防ごう)という金銭的な誘引が、ほとんどない。所有していたとしてもきわめて少数である(経済記者の牧野洋氏がかつて上げていた論点)。

④社外役員は、経営陣が無能でも、執行を行う社内の役員を解任する動機を持っていない。

⑤日比良一氏がもっていたような、会社に対する強い愛着などを、外部の役員は持ち合わせていない。

客観的にいって、90年代後半以降にの経営はかなりお粗末です。シリコンバレーで技術を買うなどといって行った投資活動は、すべて破産していますし、このままいくと近い将来株価が急落するということが分かっていなくてはならないのに、株主価値を増加させるような買収や事業開発をまったく行えませんでした。そうであるにも関わらず、取締役会がなにもしてこなかったのは、役員会の仲良しクラブ化、まともな企業統治の不在といわざるを得ないのです。

なお、私のある上場企業の経営者の親族(注:父方親族ではない)は、こういった現状を踏まえ、HOYAの取締役会を、「最悪の取締役会構成」と呼んでいましたし、別の人は、社外取締役のことを「売名行為」「お小遣い稼ぎ」などと揶揄していました。

補足:日比良一氏は、終戦直後の保谷硝子(当時の社名は保谷陶器製造所、軍事工場であったことを隠すため、社名も変え、戦時中の経営者は表には出さないためです)の社長をしていました。当然ながら鈴木哲夫氏よりも社歴は長く、祖父が倒れたときの第一の社長候補でした。その日比氏は、日比氏の別荘での一族で会議の上、社長就任を辞退し、鈴木哲夫氏に社長を譲ったのでした。そういった歴史があるのです。